私が開院した理由

便利な世の中だけど・・
車やバイク、PCなど便利で快適なものが次々と開発されることにより、利便性の半面、身体を動かす機会が少なくなり、現代病ともいえる腰痛、肩こり、頭痛といった症状を訴えるかたが非常に多くなっています。仕事でも趣味でもパソコンやゲーム、TVといった一つの画面をみながら長時間身体を動かさないでいることが多々あるかと思います。人間の身体は体を動かすことで筋肉も関節も代謝が上がり、劣化の進行を防いでくれます。

私もいまでこそウォーキング、登山、ゴルフ、ストレッチと身体を動かすことを積極的に行うようにしていますが、サラリーマン時代には体を動かす大切さをあまり意識していなかったものです。そもそも私が治療家を目指すきっかけになったのも、この運動不足からくる腰痛がきっかけでした。

ゴルフ部で一万歩!

大学生時代はゴルフ部に入り、ほぼ毎日ある練習と週末は栃木のゴルフ場まで約200キロ運転しキャディーのアルバイトをしに行っていました。今のゴルフ場は乗用カートでセルフプレイが主流ですが、当時は全ホール歩いてクラブの受け渡しなどをしていました。全ホール歩くと約1万歩といわれていますので、キャディーの仕事が終わった後、ゴルフクラブを担いでラウンドしていたため、相当な運動量だったと思います。夜になると部員全員で練習場に行き、ひたすら練習していたのですが、腰痛を感じたのはその頃からでした。これだけ体を動かし、疲労が蓄積されているにも関わらず、クールダウンもストレッチもせず放置していたので、今思えば体にガタがきて当然でしょう・・・
ゴルフ場

車を降りた途端に・・・

社会人になると、今度は通勤も営業も車を使用していたため、ほぼ毎日座りっぱなしの状態が続き、大学時代とは正反対に運動不足の日々が続きました。充実した毎日でしたが体を動かす機会がほとんど無かった為、筋肉の柔軟性が失われていたことに気づかず、ある日車から出ようと前かがみになった瞬間に猛烈な痛みが腰を襲いました・・。幸い歩くことはできましたが、普段は立つことも座ることも何も気にせず行える動作がかなり辛く、ぎっくり腰の恐ろしさを身を持って体験した瞬間でした。整形外科に行くと、異常なしといわれ、湿布をもらって診察は終了・・。異常なしと言われはしたものの、痛みは存在する矛盾に疑問を感じながら2、3日経過しても痛みはひかず、どうしたものかと悩んでいる時に出会ったのがカイロプラクティックでした。

知人から勧められ初めは不安な気持ちもありましたが、数回の施術で痛みが驚くほど楽になったことに、衝撃を受けただけでなく、これほど晴れやかな気持ちになれたことが今でも脳裏に深く焼け付いています。

自分自身が切磋琢磨して磨きあげた腕や技術によって、ここまで人に活力を与え元気づけられるものなのか、という熱い気持ちが、受ける側から与える側に変わったのはそれほど遅くありませんでした。

いざ大川学院へ

大川カイロプラクティック専門学校
カイロプラクティックという仕事にすっかり魅了された私は、6年間勤めていた会社を退職する決意し、カイロプラクティックを一生涯の仕事にしようと大川カイロプラクティック専門学院に入学することになりました。学院では病理学、整形外科学などの授業の他に、毎回テストがあり大変厳しいものでした。ですが、そこで勉強したことが今となってはものすごく役にたっています。

老舗逗子整体院へ

学院に通学中もマッサージ店などで働き腕を磨いておりましたが、インターンでお世話になっていた、学院の直営院である逗子整体院から就職のお話をいただき、働き始めることになりました。逗子院は大川グループの中でも随一の忙しさをほこっていたため朝から晩まで、休憩なしで施術に入ることもざらにありました。多くの患者さんと接することができたと同時に数々の症例を診れたため、ここで私の技術は相当磨かれたと思います。そしてこの仕事に出合った素晴らしさを実感すると共に、天職であることをより一層感じた期間でした。

中目黒院開業

院長施術
逗子院⇒旗の台院副院長を務めたのち、自分を表現する場が中目黒に出来たのは今から約10年前になります。

幼稚園のお子様から90代のご年配の方、症状も軽度から重い症状の方まで何万人という方々と出会い施術をしてきました。痛みや辛い症状を克服し人生や生活に活力を与えられる喜びはカイロプラクティックを業としてから、今まで変わらぬ想いです。
皆様がより一層健康で充実した生活を送れる喜びを、今後も一緒に分かち合えることを楽しみにしております。